★それ、本当に当たり前?結婚式で後悔しない「思い込み」との向き合い方

準備・考え方

この記事では、
結婚式準備において「当たり前」と思われがちな常識について、
現役ブライダル司会者としての現場経験をもとに、
実際には注意すべきポイントや配慮の仕方を解説します。

慣習や思い込みによって、当日がスムーズに進まないケースも多いため、
大切な一日を後悔なく迎えるための考え方もお伝えします。

こんにちは。
結婚式のイロハをお伝えする
ブライダルMCの いろは です。

今日は、「当たり前との向き合い方」についてお話します。
ゆっくりご覧ください。

「思い込みは」気づかないうちに「一人歩き」を始める

結婚式の準備は、決めることが本当にたくさんあります。
大きなお金が動き、ゲスト一人ひとりへの配慮が必要で、重い決断の連続です。

しかも、多くの方にとって結婚式の準備は初めての経験。
たとえブライダル業界に関わったことがあっても、
ご家族の結婚式に積極的に協力したことがあっても、
いざ「自分たちの結婚式」となると、想像以上に悩みは深くなります。

人が多く集まる場には、価値観もその人数分存在します。
だからこそ、「自分にとっての当たり前」が、「誰かにとっての違和感」になることもあります。

司会として500組以上の結婚式に立ち会ってきた中で、
私は何度も「思い込みが生んでしまった取り返しのつかない空気」を見てきました。

どれも悪意はなく、
ただ「普通だと思っていた」
それだけの理由でした。

では実際に、
「誰かを傷つけようとしたわけではない」
「準備を怠っていたわけでもない」
それでも後から、心に引っかかりが残ってしまった結婚式の例をご紹介します。

どちらも、ほんの少し立ち止まって考えていれば、防げたかもしれないケースです。


実例1|多数派という理由でキリスト教式の挙式を選んだカップル

こちらの新郎新婦は、結婚式そのものに強いこだわりがあったわけではありません。
ただ、「来てくれたゲストと、穏やかに、心地よく過ごしたい」
そんな想いを大切にしながら準備を進めていらっしゃいました。

打ち合わせでは、プランナーから提案された内容を一つずつ確認し、
迷ったときは
「多くの方が選ばれていますよ」
という言葉が、自然と判断基準になっていました。

挙式スタイルも、日本の結婚式場では一般的なキリスト教式
見積もりの基本プランに含まれており、
「特に理由はないけれど、一般的だから」という感覚で選ばれていました。

しかし、挙式のあと。
新郎のお母様が、ぽつりとこう話されました。
「キリスト教でもないのに、アーメンとか言うて、すんごいむずがゆかったわぁ」

その言葉に、新郎新婦はハッとしました。

信仰がある・ない、という話ではありません。
問題だったのは、
そこに何の想いもない宗教の形式を、一般的だからという理由だけで
「自分たちにふさわしい結婚式の形」にしてしまったこと
でした。

賛美歌を歌い、
牧師の言葉にうなずき、
「アーメン」という言葉を口にする。

どれも、日常生活の中には存在しない行為です。
それを「一般的な結婚式だから」「みんなやっているから」という理由だけで行った結果、
新郎新婦自身も、どこか
“やらされている感覚”
を抱えたまま、式を挙げていたことに、あとから気づいたのです。

振り返ってみると、
チャペルに立つ自分たちは、
厳かな気持ちというより、
「ドラマや映画のワンシーンに入り込んでいるような感覚」だった、と。

もし最初から、
・形式よりも自分らしさを大切にできる人前式
・自分たちに馴染みの深い神社で行う神前式

そうした選択肢を、きちんと考えていたら。。。

人生で一度の結婚式だったからこそ、
悔しさとして心に残ってしまったのです。

「多数派であること」
「一般的であること」

それが、そのまま
自分たちにとって自然で、意味のある選択だとは限らない

この結婚式は、
自分にとっての「当たり前」=「多数派であること」と思い込んでしまったことで、
「自分にとってベストな選択」を見誤ってしまった、ひとつの例でした。


実例2|「両家代表挨拶は新郎父」という思い込み

4月の柔らかな日差しに包まれた日曜日。
いつも笑顔の仲良しカップルが、晴れの日を迎えました。

手作りのペーパーアイテム。
工夫を凝らした演出。
ゲストの反応も良く、
「頑張ってきて良かった」と感じられる披露宴でした。

ところが、結びのシーンで、空気が一変します。

ご両親への花束贈呈後、進行表通りに
「ご両家を代表し、新郎のお父様よりご挨拶です」
とアナウンスを入れた瞬間。

新郎のお父様は、目を丸くして新郎に何かを伝えています。
新郎は、明らかに苛立ちを隠せない表情。
新婦は、動揺を隠せず、固まっていました。

駆け寄って事情を聞くと、
お父様はこう仰いました。

「両家代表の挨拶なんて、聞いていない」

急遽、進行を変更し、新郎による結びの挨拶へと進行を進めましたが、
送賓後、新郎とお父様は激しい言い合いに。

原因はひとつ。
新郎新婦は、お父様に正式な依頼をしていなかったのです。

これまで出席した結婚式では、
必ず新郎父が両家代表挨拶をしていた。
だから「頼むまでもない、当たり前のこと」だと思っていた。

一方、お父様にとっては、
「役割があるなら、家族であっても正式に依頼するのが当たり前」。

当たり前の基準が、親子でも違っていたのです。

結婚式では、謝辞として「両家代表のご挨拶」を入れるパターンもあれば、「新郎からの結びの挨拶」のみという場合もあります。
両家代表挨拶も、新婦家のお父様が担当される場合もあれば、ご両家のお父様がそれぞれお話されることもあります。

そういう意味で、「両家代表のご挨拶は新郎父がするもの」という考えは、思い込みと言えるでしょう。

「思い込み」は、自分たちの概念とは別軸で、思いもよらない状況を作ってしまう。
それを強く感じる一例でした。


当たり前を疑うことが、いちばんの配慮になる

この2つの実例に共通しているのは、
誰かが間違っていたわけでも、非常識だったわけでもない、ということです。

ただ、
「きっと大丈夫」
「みんなそうしているから」
という思い込みが、確認を後回しにしてしまった。

それだけでした。

結婚式に、正解はありません。
だからこそ、自分の中の「当たり前」を一度疑い、
「これは本当に、自分たちの結婚式にとって自然な選択だろうか?」
と考えることが、何よりの配慮になります。


まとめ|当たり前を疑える人が、ずっと応援される夫婦になる

実際の事例をご覧になって、どう感じましたか?

大切なのは、どちらが正しいかを決めることではありません。
結婚式に関わるすべての人が、気持ちよく過ごせるように想像すること。

それが、新郎新婦にとっての理想を叶える、最短ルートだと感じています。

人の数だけ「当たり前」があります。
その違いを想像し、歩み寄ろうとする姿勢こそが、
これからの人生を一緒に歩む上でも、きっと大きな支えになります。

結婚式の準備は、
「当たり前を疑うところ」から、もう始まっているのです。

さて、あなたにとっての“当たり前”は何でしょうか?

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